December 2009
…ピアノを愛するというなら、そのためには、別の時代からやってきて、つねに完了形で語っているようなアルトウーロ・べネデツティ=ミケランジェリのピアノがあるだろう。あるいはまた近年のリヒテルのようにある種の期待が告げられるようなピアノがある。期待、すなわち近頃リヒテルが登場すると、一緒にそこにあらわれるあの未来のノスタルジーだ(ドアはそのときひとりでにひらき、そこにあるのがわからなかった部屋が見える。)しかしながら現在形で演奏するグールドの姿は決定的な光をもたらし、無垢あるいは天使という使い古された語を唇にのばらせる。
────── 『グレン・グールド 孤独のアリア』 ミシェル・シュネーデル(千葉文夫訳)
REMEMBER: Kennan warned an attack on Iraq
Anyone who has ever studied the history of American diplomacy, especially military diplomacy, knows that you might start in a war with certain things on your mind as a purpose of what you are doing, but in the end, you found yourself fighting for entirely different things that you had never thought of before… In other words, war has a momentum of its own and it carries you away from all...
柄谷行人「建築の不純さ」
私は建築家でもないし、建築の理論家でもない。しかし、私が建築に関心をもつのは、プラトンが言ったように、建 築家がテクネーの首領であり根元であるからというのではない。私が関心を持つのは、さしあたって言えば、それがあらゆる芸術の領域において、最も不純だか らである。たぶんそれに匹敵するのは映画であろう。正確に言えば、それらが特別に不純なのではなく、他の領域のように不純さを隠すことが困難だからであ る。 建築は、その最もありふれた家屋の建築から、国家的・宗教的なモニュメントや都市計画にいたるまで、政治的・経済的な次元と結びついている。それは実際的 な生活の必要に根ざしていて、且つ美的である。つまり、さまざまな次元がそこに輻輳している。われわれはそこから、たとえば美学的次元だけを純粋に取り出...
「解決はない、なぜなら問題がないから」
– REALTOKYO | Column | 浅田彰のドタバタ日記 | 第3回:2008年7月25日 (via coyu) (via dtybywl)
2008-07-26 (via gkojay)
吉岡実「タコ」より
タコの生殖はとても呪われたフォームを見せる
それは濡れ手裂かれた傘のような肉の散乱にちかい
タコのオスの七つの足は水を抱きこむ
そして残されたごく先細りの一つの足がくだの器官の役目をする
ちょっと見ると 靴の紐のようにみすぼらしく
タコのメスの小さな孔を探し求めて入りこむ
これが交接といえるだろうか
祝婚歌 吉野弘
二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは
長持ちしないことだと気付いているほうがいい
完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい
二人のうちどちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい
互いに非難することがあっても
非難する資格がじぶんにあったかどうか
あとで
疑わしくなるほうがいい
正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には
色目を使わず
ゆったり ゆたかに
光を浴びているほうがいい
健康で 風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと 胸が熱くなる
そんな日があってもいい
...
沈黙の彼方から
沈黙のもつ恐怖についてはいまさら想うまでもない。死の暗黒世界をとり囲む沈黙。時に広大な宇宙の沈黙が突然お おいかぶさるようにしてわれわれを掴えることがある。生まれでることの激しい沈黙、土に還るときの静かな沈黙。芸術は沈黙に対する人間の抗議ではなかったろうか。詩も音楽も沈黙に抗して発音するときに生れた。(中略) ルネッサンスによって人間くさい芸術が確立し、分化の歴史をたどると、近代の痩せた知性主義が芸術の本質を危うくした。いまでは、多くの芸術がその方式のなかであまりにも自己完結的なものになってしまっている。饒舌と観念過剰は芸術をけっして豊かなものにはしない。 沈黙に抗って発音するということは自分の存在を証すこと以外の何でもない。沈黙の坑道から己をつかみ出すことだけが<歌>と呼べよう。あるいはそれだけ...
蓮實:ええ。私は年齢的には整理期に入っていますから、もうそんなに手は広げられない。
...
– http://www.flowerwild.net/2006/12/2006-12-04_102306.php
蓮實重彦インタビュー →
蓮見重彦の面白い記事が見つかったので、忘れないうちにコピー「シャロン・ストーンがいいなんていったって、誰も笑って信じてくれない(笑)。」
抑圧的な権威の没落をめぐって
…抑圧的な権威の没落は、自由をもたらすどころか、より厳格な禁止を新たに生む。 (たとえば) ある子が、日曜日に遊ぶのを許してもらえず、祖母の家に行かなければならないとする。古風で権威主義的な父親が子供に与えるメッセージは、こうだろう。
「お前がどう感じていても、どうでもいい。黙って言われたとおりにしなさい。おばあさんの家にいって、お行儀よくしていなさい」。
この場合、この子の置かれた状況は最悪ではない。したくないことをしなければならないわけだが、彼は内的な自由や、(後で)父親の権威に反抗する力を取っておくことができるのだから。「ポストモダン」の非権威主義的な父親のメッセージのほうがずっと狡猾だ。
「おばあさんがどんなにお前を愛しているか、知っているだろう? でも無理に行けとはいわないよ。本当にいきたくないのなら、行かなくてもいいぞ」。
...